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「直感的なUI」について思うこと
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こんにちは、真田@yozikです。体感2万年ぶりくらいのブログです。試される大地からお届けします。
先日いわゆるUIデザインに関わる機会があり、その中で「直感的なUI」と言う言葉が出てきて気になったのでちょっと書いてみます。
誰にとって「直感的なUI」なのか
自分はもうだいぶ前から「直感的」と言う言葉はなるべく使わないようにしています。
直感的というと「誰でも見てすぐにわかる!」といった意味になるかと思いますが、結局それはその人個人のそれまでの経験からすぐにわかるのであって、誤解を生みやすいと思うからです。
たとえばパソコンのマウスはかなり直感的に操作できると言っていいデバイスだと思いますが、生まれて初めてマウスを見た子どもが直感ですぐにその操作方法がわかるはずはありません。
実際に触ってみて、机の上をすべらせるとカーソルが同じように動く、ボタンをクリックすると選択される、押したまま動かすと手で掴んだように移動するなど、使っているうちにどんどん学習していきます。
そういった学習を積み重ねた経験があるからこそ、新しいUIを見ても「ここはこうすればこうなるだろう」といった予測をたてられるようになります。それを「直感的にわかる」と表現しているわけです。
つまり「直感的」というのは、“その人が”これまでに使ったことがある、どこかで見たことがあるから直感的にわかるわけで、それがすべての人に当てはまるとは限りません。
勘違いしやすいのは、こういったUIをデザインする際に意見を出す人たちは、たいてい会社の同僚や同業種の人たちであることが多いということです。その道のプロである(はずの)人の意見を聞いて、良かれと思って作ったUIがいざ実際のユーザーに使ってもらうとまったく不評ということがよくあります。
なぜこういうUIにしたの?と聞くと、みんなこれがいいって言ってた、って言います。
みんなって誰?と聞くと、実は会社の同僚のせいぜい3〜4人とかだったりします(実際にそれを使うのはまた違う世界の住人なのに)。
毎日同じ会社で同じ仕事をしているメンバーが同じ経験をして同じ思考になっていくのは当然です。そのために事前の調査やユーザーテストなどが必要になってくるわけです(が、それはまた別の機会に)。
ユーザーの学習によって生まれる「直感的」
つまり、「直感的」に使えるUIを設計するには、対象とするユーザーに共通の体験がなければいけません。
逆に言うと最初はわかりにくいUIでも、ユーザーの学習が進めば直感的に近いレベルまでたどり着くことがあります。
その最たる例がハンバーガーメニューでしょう。
押してみるまで何が起こるかわからない、もう一度押してみないと閉じることもわからない、いやそもそもこのアイコンが何なのかわからない。わからないから押してみようという人間の好奇心に期待したUIという時点でだいぶダメな感じがするのですが──
登場した当初は(今も?)かなりの賛否が巻き起こりましたが、現在はある程度市民権を得たように思えます。当初はスマートフォンの狭い画面にメニューを押し込めるためのものでしたが、今ではデスクトップ版のUIでも見かけることがあります。
「慣れは最大のユーザビリティ」と言います。そのうち慣れるから大丈夫、では困りますが、あまり馴染みがないUIでも一度使えば忘れないようなデザインを心がけるべきでしょう。
直感的なUIというのはつまり
- 動作が予測できる
- どこかで使ったことがある、見たことがある
- 学習コストが低い
- 予測が難しくても、一度使えばわかる(慣用的である)
この2点に集約されるかなと思います。
さらにこれらは
- ターゲットとするユーザー層
- ユーザーの学習
- デバイスや時代の進化(今どきの子どもがテレビをタッチ操作しようとしたり)
などによって変化していきます。
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ウェブやアプリのデザインは自由度が高すぎて何でもできてしまいます。
革新的なUIだともてはやされながらも廃れていったり、厳しい評価を受けながらも定着していったUIもあります。
目新しさにとらわれず、まずはユーザーを把握するところから。
さらに、今まで使われているパーツやUIを流用する。現実世界のメタファーを取り入れてみる。
そういったことで、“いわゆる”直感的なUIを作ることができるんじゃないかなと思っています。